『沖縄の米軍基地は、全て銃剣とブルドーザーで強制接収された』は事実ではない。実際は基地全体の0.8%程度にしか過ぎない

(写真:米軍による土地の強制接収に抵抗する人々。宜野湾伊佐浜 「金は一年土地は万年」の幟 (1955年7月) パブリックドメイン)

ひろゆきさんの沖縄辺野古でのツイート炎上に関係して、「人々が暮らしていた土地を(米軍)銃剣とブルドーザーで奪って基地をつくった。」との主張が出てきます。

この「銃剣とブルドーザー」について、興味深い沖縄県議会での質疑が見つかりました。

おどろくべき事実について、ご紹介します。

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「人々が暮らしていた土地を銃剣とブルドーザーで奪って基地をつくった」

以下、沖縄市選出の前・沖縄県議会議員、オド亨さんのブログからの引用です。

銃剣とブルドーザーで強制接収された土地は現在の米軍基地面積の約0.8%に相当


『沖縄の米軍基地は、全て銃剣とブルドーザーで強制接収された。』
とても有名なフレーズでありますが、これは事実ではありません。

『銃剣とブルドーザー』という言葉が象徴する、県民の意思とは関係ない軍用地の強制接収は、確かにありました。
しかしそれは極々小規模なものであり、基地全体の0.8%程度にしか過ぎないものです。
逆に、県民自らが軍用地の提供を申し出て、米軍基地を誘致した土地は、全体の10%を超えており、その中には大田元知事が在職中に提供した土地も含まれています。

針小棒大も甚だしいこのフレーズは、しかしながら今では基地の成り立ちについての常識になっております。
そこで、私は以下の5点について、県議会で質問しました。

① 銃剣とブルドーザーで接収された、と言われる土地はどこか。
② その具体的な場所・面積及びその割合、また現在も使用されている場所とその割合。
③ 沖縄県民が進んで土地を提供し、基地を誘致した場所とその面積
④ 返還された軍用地を、自ら再提供した土地の場所と面積
⑤ 大田元知事が在職中に提供した土地の場所と面積
⑥ ③~⑥の、積極的に提供・誘致した基地の面積及び全体に占める割合

その答えは、以下の通りです。(知事公室長答弁)

 ①~②について、一括答弁
銃剣とブルドーザーで強制接収された土地は、真和志村が約17万坪で200戸、小禄村が約1万五千坪で28戸、宜野湾村が約13万坪で32戸、伊江村が約22万1千坪で13戸となっております。
これらを合計すると約177ヘクタールになり、現在の米軍基地面積(2万3千303ヘクタール)の内約0.8%に相当します。
また、真和志村銘苅地域(牧港住宅地区)については全面返還され、小禄村具志については現在那覇空港として使用されており、伊江村(伊江島補助飛行場)や宜野湾村(キャンプ・瑞慶覧)は部分返還されておりますが、これらの接収された土地の現在の米軍の使用状況については、正確に確認できないことなどから詳細は把握できておりません。

 ③について
刊行物などによりますと、「辺野古誌」(辺野古区事務所発行)では、昭和31年にキャンプ・シュワブの建設のため、久志村辺野古一帯を新規に村長自らが提供した際、同意した事例として、約254ヘクタール、さらに「金武町と基地」(金武町発行)では、昭和32年に金武村において、新規提供800ヘクタール余を受け入れたとされております。

 ④について
キャンプ・コートニーにおいて、昭和58年10月31日に29.5ヘクタールが返還されましたが、沖縄自動車道の延伸に伴い、その工事に係る米軍住宅の代替地として翌日11月1日に23.8ヘクタールが追加提供されております。
その他に、キャンプ・コートニーでは、昭和46年6月30日に部分返還された土地について、地籍が確定されていないなどの事情から、地主会の再使用の陳情により、昭和50年5月1日に海上自衛隊に、約17.1ヘクタールを賃貸しております。
また、知花サイト、嘉手納弾薬庫地区において、共同使用が解除され、陸上自衛隊が継続使用しており、平成8年に返還された知花サイトの残りの部分も、平成12年より陸上自衛隊の訓練用地として再提供されております。

 ⑤について
大田元知事が在職していた平成2年12月10日から平成10年12月9日の間に追加提供された米軍施設の面積は、嘉手納弾薬庫地区、嘉手納飛行場、ホワイト・ビーチ地区の3施設、合計約1.6ヘクタールとなっております。

 ⑥について
先に答弁しましたように、提供・誘致した面積が約1千54ヘクタール、再提供された面積が約23.8ヘクタール、大田元知事在職中に追加提供された面積が約1.6ヘクタールとなっており、合計すると1千79ヘクタールで、現在の米軍基地面積の約4.6%に相当します。

つまりは、強制接収はあったものの、それは0.8%というごく限られた場所についてであり、むしろ進んで提供された事例が数多くある、ということです。

今沖縄は、普天間をはじめとした基地の危険性の除去や基地負担の軽減を主眼とした米軍基地再編の真っ只中にあります。
だからこそ、『米軍基地』が戦後60年余、沖縄の政治・経済・民生に与えてきた功罪を今一度正しく理解し、さらには我が国の平和と繁栄および極東アジアの安定に対する影響を総合的に理解して、その上で問題に取り組んでいかなければ、後々に大きな禍根を残してしまうかもしれません。

適正な事実認識の上にのみ、適切な判断は成り立ちます。
曲解が後世でもまかり通る事のないよう、今後もしっかりと正していきたいと思います。


(引用ここまで)

平成19年(2007年) 第 1回 沖縄県議会(定例会) 議事録

議事録 

平成19年(2007年) 第 1回 沖縄県議会(定例会)
第 9号 3月 1日
小渡  亨

そこで、仲井眞知事の認識を確認するとともに、その曲解の一つ一つを事実をもとに検証していきたいと思います。

 米軍基地の成り立ちについて。

 沖縄の米軍基地は、すべて銃剣とブルドーザーによって、県民の意思とは全く関係なくすべて強制的に接収されたとよく言われております。これは明らかに事実に反しています。銃剣とブルドーザーによる強制接収はごくごく小規模であり、沖縄の米軍基地全体の100分の1程度にしかすぎません。

 その反面、強制的ではなく、大田元知事やあるいは県民みずからが軍用地の提供を申し出て軍事基地を誘致した土地は全体の20%弱になっていると私は考えております。

 そこで質問です。

 (1)、銃剣とブルドーザーで強制接収されたと言われる土地はどこですか。

 具体的な場所、面積、戸数等を説明してください。

 そして沖縄の米軍基地に占める割合は何%か。

 さらに、現在もその銃剣とブルドーザーによって接収された土地が使用されている場所はどこか。そしてそれはトータルの面積からすると何%か。

 (2)、沖縄県民が進んで土地を提供し、基地を誘致した場所、その面積を教えてください。

 (3)、返還されたその軍用地をみずから再提供した場所が何カ所かありますか。その場所と面積を教えてください。

 (4)、大田元知事が在職中に提供した軍用地の場所と面積を説明してください。

 (5)、以上、(2)から(4)の、積極的に提供・誘致した米軍基地の面積は全体の何%に当たるのか説明を求めます。

 2番目、沖縄には米軍基地の75%が集中しているということについて。

 沖縄における米軍基地の割合は、全国比の75%を占めると言われるようになりました。しかし、この数字は在日米軍基地の一部でしかない米軍専用基地の割合をとらえた数字であり、明らかに曲解です。米軍専用基地は在日米軍基地の3割程度です。

 日米安保に基づき、我が国が米国に提供している在日米軍基地は、知事公室の基地対策課が毎年出している統計資料によると、135施設、10万1113ヘクタールであります。在日米軍基地の中には山口県の岩国基地、神奈川県の厚木基地、青森県の三沢基地といった自衛隊との共同使用基地と、嘉手納基地や普天間基地といった米軍専用基地があります。

 米軍専用基地は3万1206ヘクタールで、在日米軍基地全体から見ると30.86%にしかすぎません。残り7割の米軍基地は自衛隊との共同使用基地です。その30%の米軍専用基地の中で沖縄には2万3671ヘクタールの基地があり、米軍専用基地だけの全国比が74.7%ということであります。在日米軍基地全体から見ると4分の3の75%ではなく、4分の1の23.4%です。

 自衛隊との共同使用の岩国基地や厚木基地といった共同使用の米軍基地には目をつぶり、自分にとって都合のよい一部地域だけの嘉手納といった米軍専用基地の全国比75%という数字をとらえ、殊さら強調することは政治家としていかがなものかと私は思います。知事の見解を求めます。

https://www2.pref.okinawa.jp/oki/gikairep1.nsf/481e05e7edaca1db49256f540004c033/66ee3e2a4c77f198492572f1002bb69b?OpenDocument

知事公室長(花城順孝)

 米軍基地の成り立ちについての御質問の中で、強制接収された場所と戸数及び米軍基地に占める面積の割合について一括してお答えをいたします。

 琉球政府、立法院、土地連合委員会及び市町村会の四者から成る軍用地問題解決委員会が作成した資料等によりますと、銃剣とブルドーザーで強制接収された土地については、真和志村が約17万坪で200戸、小禄村が約1万5000坪で28戸、宜野湾村が約13万坪で32戸、伊江村が22万1000坪で13戸とされております。これらを合計すると約177ヘクタールで、現在の米軍基地面積の約0.8%に相当します。

 また、真和志村銘苅地域については全面返還され、小禄村具志については自衛隊基地として使用されており、伊江村や宜野湾村は部分返還されておりますが、これらの接収された土地の現在の米軍基地としての使用状況等については、正確に確認できないことなどから詳細は把握できません。

 次に、同じく米軍基地の成り立ちの中の、沖縄県民が土地を提供し誘致した基地についての御質問にお答えします。

 刊行物などによりますと、「辺野古誌」――これは辺野古区事務所が発行した資料でありますが――では、昭和31年にキャンプ・シュワブの建設のため、久志村辺野古一帯を新規に接収した際、同意した事例として、新規接収628エーカー、約254ヘクタール、さらに金武町が発行した「金武町と基地」という資料では、昭和32年に金武村において新規接収800ヘクタール余を受け入れたとされております。

 次に、みずから再提供した返還軍用地についての御質問にお答えします。

 キャンプ・コートニーにおいて、昭和58年10月31日に29.5ヘクタールが返還されましたが、沖縄自動車道の延伸に伴い、その工事に係る米軍住宅の代替地として同年11月1日に23.8ヘクタールが追加提供されております。

 そのほかにキャンプ・コートニーでは、昭和46年6月30日に部分返還された土地について、地籍が確定されていないなどの事情から、地主会の再使用の陳情により、昭和50年5月1日に海上自衛隊に約17.1ヘクタールを賃貸をしております。

 また、知花サイト、嘉手納弾薬庫地区において共同使用が解除され、陸上自衛隊が継続使用しており、平成8年に返還された知花サイトの残りの部分も平成12年より陸上自衛隊の訓練用地として再提供されております。

 次に、大田元知事在職中の提供駐留軍用地についての御質問にお答えいたします。

 大田元知事が在職していた平成2年12月10日から平成10年12月9日の間に追加提供された米軍施設の面積は、嘉手納弾薬庫地区、嘉手納飛行場、ホワイト・ビーチ地区の3施設で合計約1.6ヘクタールとなっております。

 積極的に提供・誘致した基地の割合についての御質問にお答えします。

 さきに答弁をいたしましたように、提供・誘致した面積が約1054ヘクタール、再提供された面積が約23.8ヘクタール、大田元知事在職中に追加提供された面積が約1.6ヘクタールとなっており、これを合計しますと1079ヘクタールで、現在の米軍基地面積の約4.6%に相当します。

 しかしながら、土地の提供や誘致が積極的であったかについては把握をしておりません。

 次に、米軍専用施設の75%が集中しているという御質問についてお答えいたします。

 那覇防衛施設局の資料によりますと、平成17年3月末現在、本県に所在する米軍専用施設面積は2万3303ヘクタールで、全国の約75%になります。

 なお、自衛隊等との共同使用施設を含めた米軍施設面積は2万3671ヘクタールで、これは全国の約23%であります。

https://www2.pref.okinawa.jp/oki/gikairep1.nsf/481e05e7edaca1db49256f540004c033/eca40e6963e2d8b0492572f1002bb35d?OpenDocument



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