韓国の徴用工像のモデルは日本人 給料は日本人の大卒初任給の2倍 徴用工の不都合な真実を週刊新潮が暴露

(写真の人物の帽子が海軍の略帽です)

すでに4体あった韓国のいわゆる「徴用工像」が3月1日に6体に増殖したのではないかといわれています。

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徴用工像のモデルは日本人

この「徴用工像」のモデルは日本人で、韓国とはまったく関係がないことは、ネットではよく知られていることです。韓国では、捏造を誤魔化すために「植民地時代に朝鮮半島から強制徴用された労働者を象徴する像」=「労働者像」と呼んでいるようです。

この「徴用工像」は、1945年9月15日、日本が降伏した後のマーシャル諸島(恐らくはウォッジェ環礁またはマロエラップ環礁)で撮影された、痩せこけた日本人海軍兵士の写真を元に作られているようです。

(炭鉱夫かシベリアに抑留された人という説もありましたが、 帽子が、海軍の兵用の第二種略帽であることから、 こちらの説が正しいと判断しました)

もうひとつ、韓国側が「徴用工の強制連行」の証拠として悪用しているのは、1926年の北海道の旭川新聞に掲載された道路工事現場の日本人労働者の写真です。



徴用工の不都合な真実を週刊新潮が暴露

週刊新潮2019年3月7日号の、100周年「韓国3・1独立運動」を現地レポート!世界に輸出される史上最大の「反日キャンペーン」という特集記事の中でも、この偽りの徴用工について記事にしています。

週刊新潮は、韓国の大学で教えるイ・ウヨン研究委員の言葉として次のように伝えています。

(※江迎(えむかえ)炭鉱は長崎県佐世保市(旧・北松浦郡江迎町)にあった炭鉱。跡地はニッチツ機械本部江迎工場となり現役稼働している。)

「たとえば、長崎の江迎炭鉱で、44年5月に韓国人の運炭工に対して支払われた月給は150円前後。採炭工では更に高く、これらを均すと、当時の日本の大卒初任給の2倍ほど、韓国国内で働く教師の3.7倍に相当します。奴隷のような扱いだったというのは全く間違い。同じ炭鉱で働く日本人の基本給と比べて若く体力のある韓国人の方が高いこともありました。積立金や年金のシステムも用意されていたのです」

契約期間は2年で、それが経過すれば咎められることなく帰国できた。

「強制徴用に切り替わったのは44年9月からその後の半年間ですが、この間の給与は10%アップしています。韓国政府はデータに基づいた歴史認識をしなければならないと思います。」(週刊新潮2019年3月7日号)

週刊誌のスキャンダル記事はどうでもいいですが、こうした記事は週刊誌であっても応援したくなりますよね。

詳細は週刊新潮をお読みください。



まとめ

  1. 韓国では、1926(大正15)年の日本人の写真を、第二次世界大戦時の韓国人が強制徴用された証拠とでっち上げて使用している。
  2. 韓国の徴用工像のモデルは、1945年9月15日、日本が降伏した後のマーシャル諸島で撮影された日本軍人(海軍)の写真。
  3. 1944年に炭鉱で働く韓国人の月給は、当時の日本人の大卒初任給の約2倍だった。若くて体力のある韓国人は、日本人よりも給料が高かった。
  4. 契約期間は2年間で、その後は自由に帰国できた。
  5. 強制徴用に切り替わったのは、戦争末期の半年間だけ。その間の給料は10%高かった。
  6. 奴隷のような扱いだったというのは全くの間違い。



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