小池都知事、志村けんさんの死は「功績」に批判殺到? 日本語は難しい

志村けんさんの衝撃的な新型コロナウイルスによる死去をうけて、都庁で記者に囲まれインタビューを受けた小池百合子都知事がお悔やみの言葉の中で「最後の功績」を使ったことが批判されています。

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最後の功績?

小池都知事は「謹んでお悔やみを申し上げたいと思います。志村さんといえば本当にエンターテイナーとして、みんなに楽しみであったり笑いを届けてくださったと感謝したい。最後に悲しみとコロナウイルスの危険性についてしっかりメッセージを皆さんに届けてくださったという、最後の功績も大変大きいものがあると思っています」と話されていました。

この「最後の功績も大変大きいものがあると思っています」が槍玉にあげられています。

 

立憲民主党の蓮舫さんも次のように指摘されています。

 

個人的には、蓮舫さんが日本語の言葉の使い方で批判されるのも違和感がありますが…。

 

「功績」とは

「功績」とは「国や社会・団体に貢献した業績。てがら」のことです。

 

以下略ちゃん的には、小池都知事の会見は特に違和感はありませんでした。

それは、志村けんさんの訃報を知った時につぎのようなツイートをしていて、小池都知事は後追いで同じことを話されているだけと感じたからです。

発言の内容、言いたいことは同じです。

 

 

この以下略ちゃんのツイートはバズっていますが、批判的なリプライはぜんぜん付いていません。

 

簡単にツイートしているように見えるかもしれませんが、この文章は言葉を練って作っています。

小池都知事のように批判的なコメントが付く可能性が予想されたからです。

以下略ちゃんのツイートと小池都知事の発言の違いは何でしょうか?

 

それは、視座の違いです。

志村けんさんは運悪く感染されてしまっただけですから、志村けんさんにそういうつもりがあるはずがありません。志村さんが「行った」「功績」のように発言してしまうと、違和感があります。

あくまでも、第三者からの感想、希望、のように発言する必要があります。

 

「志村さんの功績」ではなく、「私がそう感じた」と書くことによって批判されるリスクが低減すると考えました。

「志村けんさんは無念だったでしょうけど」ということが読み取れる余地が必要なのです。

 

小池都知事はいわゆる帰国子女なのでしょうか?

 

日本語は難しいものです。



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