マスコミは都合のいい数字だけを取り上げ、「名護市辺野古の埋め立てに反対が7割を超えた」とばかり宣伝しています。現政権が嫌いなので政権が困るようなことが嬉しいかのようです。
そんな辺野古埋め立ての賛否を問う沖縄の県民投票について、中山よしたか 石垣市長が正論を言っています。
メディアを巻き込んだ広報活動、大規模な反対派の集票活動をしても37.65%
有効票の71.7%が反対だが、全有権者に対しては37.65%。これで単純に「辺野古埋め立て反対は民意だ」でいいのか?
今回の県民投票は沖縄の複雑な民意そのものだと思う。知事選で玉城氏に投票した方の大多数は投票に足を運び「反対」。「賛成」を明確にしたかった方は投票に行き。容認、他の方は棄権か。有効票の71.7%が反対だが、全有権者に対しては37.65%。これで単純に「辺野古埋め立て反対は民意だ」でいいのか?
— 中山よしたか(石垣市長) (@yoshitaka_ISG) 2019年2月25日
メディアを巻き込んだ広報活動、大規模な反対派の集票活動をしても尚、県知事選挙とあまり変わらぬ得票と言う事は、賛成、どちらでもないを含め、現状を容認している人が大多数だと言う事ではないでしょうか。
— 中山よしたか(石垣市長) (@yoshitaka_ISG) 2019年2月24日
こうしたことを言うと、決まって次のように反論する人がいます。
その論理で行きますと…
2018年の石垣市長選挙(候補者3人)の有権者数38,640人の内、中山市長の得票は13822票で全市民の約36%です。
『中山市長は民意だ』と言っていいのでしょうか、になりませんか?私は中山市長も辺野古埋め立て反対も民意だと言って良いと思うのですが💦
— 倉橋英樹 (@kuraaruk) 2019年2月25日
しかし、選挙の場合は、立候補した人たちの中から選ぶだけのことなので、これでいいのです。
一人の市長を選ぶ場合は、全市民の約36%だろうが約20%だろうが、一番得票した人が当選なのは当たり前です。
全く違います。
市長選挙とは民意の表し方が全く異なります。「普天間の危険除去のための施策」
⑴辺野古埋め立て
⑵対案1
⑶対案2という、「賛成のものに投票する」という形でないと同列には語れないと思います。
そもそも対案がないのですから、辺野古埋め立てを進めるしかないのです。— araichan (@araichan323) 2019年2月25日
なんにもない状態から、どちらかを選ぶという投票であれば、投票した人の中で一番得票したものが「民意」と解釈できますが、すでに決定したものを覆そうとする反対目的の投票の場合、それでは根拠が薄い。
今回の県民投票では、通常の選挙では違法とされるような宣伝が平然と行われました。
違法ではないので、問題ないという解釈のようですが、ということは、そもそも選挙ですらないわけです。
単純に「アンケート」レベルの投票でしかなかったということになります。
票を得るためなら何ををしても良いというのは民主主義とは違う
県外の方はこの県民投票の意義に疑問を持ち冷静に見ている方が多いですよ。
有権者全体でみれば今とこれからをきちんと見ている反対しなかった方が多かったと示せてると言えますね。— もともとれお (@jboy_2008) 2019年2月25日
法的拘束力がない以上、現状肯定の人にはインセンティブがありません。だって進んでいる工事に対してわざわざ賛意を示す意味ありませんから。この投票は力ずくで工事を止めたい人以外の需要はありません。
— tikutaku (@tikkutakku) 2019年2月25日
さらに、何故、普天間に代わる基地として辺野古を容認するか否かではなく、埋め立ての可否なのか? 質問の仕方によって答えも違うのではないか。
— 大空、中空、うわの空 (@3Skies) 2019年2月25日
県民投票そのものの品位が著しく低い場合はその結果を尊重することは難しいと思う。
票を得るためなら何ををしても良いというのは民主主義とは何か違うのではないか。— 黒猫えいでん (@Eidenedion) 2019年2月25日