安倍総理のフェルメール展でのコメントに「安倍総理らしいグロテスクなコメント」と表現した小西ひろゆき参院議員の人格攻撃ツイートを、「グロテスク」とツイートしたところ、本家の小西ひろゆき議員のツイートの“いいね”を超える数の“いいね”をいただきました。
グロテスクな人格攻撃
コニタンのアベガーコメントの方が気持ちが荒むグロテスクなコメントですよ。 pic.twitter.com/9uLgZC6mwc
— 以下略ちゃん™ (@ikaryakuchan) 2019年1月19日
1月20日午前9時00分現在、小西ひろゆき議員のツイートの“いいね”は1033、以下略ちゃんのツイートの“いいね”は1093で、引用元の小西ひろゆき議員のツイートを上回っています。
小西ひろゆき議員が「グロテスクなコメント」「不気味に思える」とコメントした安倍総理の共同通信の16日の記事は次のようなものです。
安倍晋三首相は16日夜、東京・上野公園の上野の森美術館を訪れ、特別展「フェルメール展」を視察した。オランダを代表する世界的画家の作品に見入り、記者団に「感激した。本当に美しいものに接すると気持ちが豊かになる」と満足そうに語った。
(中略)
フェルメールの代表作「牛乳を注ぐ女」の前では、身を乗り出すようにして見つめていた。
「感激した。本当に美しいものに接すると気持ちが豊かになる」
この安倍総理のコメントは無難なもので定型文で個性がないといえば、そのとおりなのでしょうが、「フェルメール展」の宣伝とオランダとの外交ということを考えれば、これで十分なコメントだと思います。
展覧会側は、「安倍総理も観た」ということで宣伝になりますし、オランダとの外交では実際に総理がフェルメールの絵画を観たと伝えることができます。
美術品の「美」とは何でしょうか?
「牛乳を注ぐ女」は、身分の低いキッチンメイドを描いた作品で、そこに愛欲を感じて、「人間の欲望の本性や社会の不条理などを巧みに描写した独特な絵画」とするのも間違いではないでしょう。
しかし、実物の名画を観る場合、そのような作者の事情などとは無関係に、絵の色使いとか構図に圧倒されるものです。
「牛乳を注ぐ女」は美しい絵画です。
女性の服は、黄色と青紫色という補色(反対色)で描かれていて、左側の窓から差し込む光の扱い方が巧みです。女性は安定した三角構図で描かれており、描かれた背景には、足元の暖房器具しかなく、その空間が効果的です。
多くの画家は言葉にできないものを表現するために絵を描いています。言葉に表現できないものを観る人が受け取っても、やはり言葉には表現できないことが多いです。その場合は感想を「美しい」「感激した」などという言葉でしか表現をすることができません。
美術品の「美」とは何でしょうか?
それは客観的にではなくて、主観的に自分を絵に投影して観て、そこから共鳴して感動するような何かを返してくれる、その何かが「美」なのだと思います。
どのような背景で描かれた絵であれ、「美」を返してくれる絵画であれば、心が豊かになるものです。それが名画です。
「安倍総理は絵の本質を解ってない」と、いっぱしの評論家気どりになったつもりだろうが、彼は恐らく「芸術というものが理解できていない」
— 椙谷麻汰朗 (@Mataro596) 2019年1月19日
絵画の鑑賞について小西は根本的に間違っているね。
もし、描かれた経緯がそう分析されていたとしても、絵画を鑑賞するときは鑑賞者が自己を投影しながら鑑賞するのが基本。それでなければ作品は作品としての意味を失います。何を感じるかは自由。分析結果に左右されての鑑賞は真の鑑賞ではないです。
— 🇯🇵サラス🇯🇵 #安倍総理支持 #「李登輝友の会」会員 (@mAE8V7EDgEv9Vp6) 2019年1月19日
絵画の感想は人それぞれでも、安倍総理を見下したいばかりに画家や作品を小馬鹿にする態度が不愉快。
— +Nanaka+@ポケ森シノアリス (@mint_minami) 2019年1月19日
これ、小西議員のツイートに直接言ってやったんだけど、安倍ちゃん批判してると同時にフェルメールとその絵画までをも侮辱発言になってるんだよね。
いくら安倍ちゃんが嫌いでも画家や絵画まで侮辱するのは非道すぎ。
画家や絵画に罪は無い。— 田宮良太郎 (@tamiya2345) 2019年1月19日