歌舞伎を盛り上げる「声かけ」
歌舞伎の、ここぞという場面で、観客席の後ろから「中村屋あっ!」とか「音羽屋あっ!」などと声をかける人がいます。
「待ってましたっ!」や「たっぷりっ!」といったものも聞かれます。
この声をかけているのは「大向う(おおむこう)」さんと呼ばれる人たちです。
大向うさんは、劇場側に認定された「○○会」という会に所属し、木戸銭御免(きどせんごめん)といわれる入館無料のパスを貰って、3階の後方を陣取り(立ち見)、芝居の要所要所で掛け声をかけます。
大向うさんによって、芝居は盛り上がります。
大向うさんについては、次の記事で詳しく書かれています。
菅長官への「帰れ」は「お声がけ」?
茂木健一郎さんの、翁長元県知事の県民葬の場で、招待されて弔問に訪れた菅官房長官への、一部の一般参列者いわゆる「こんな人たち」からの「帰れ」などの怒号を、「お声がけ」と言い換えたツイートが人気になっています。
今回菅官房長官へのお声がけについて、礼儀に反する、不謹慎だといった反応があるが、これほど物事の本質を外した論はない。社会的変化は、礼儀だとかそういうことをとっぱらった感情のやりとりによってしか生まれない。アメリカ公民権運動の歴史を見よ。日本における「礼儀」は単なる思考停止である。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2018年10月9日
社会的変化を望む場合は、「どんな場所であっても、礼儀だとかそういうことをとっぱらった感情のやりとりが正当化される」、という主旨のように読めます。
それなら、「ヘイトスピーチ規制」など必要ないのではないかと思うのですが、どうなのでしょう。
菅長官への「日本一!」という声がかからなかった
それはさておき、「それは違うんじゃないの」と思うのは、茂木健一郎さんの次のツイートです。
菅官房長官の「沖縄の方々の心に寄り添い」という言葉を素直に受け取って「頼むぞ!」「待っているぞ!」「いよっ、官房長官!」「日本一!」といった声がかからなかったのは、「そんなこと言って、またどうせゴリ押しでくるんでしょう」という不信感があったからにほかならない。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2018年10月9日
「菅官房長官の弔問に好意的なヤジがかからなかったことは、不信感があったからだ」、という茂木健一郎 さんの解釈です。
「帰れ」などの怒号を「お声がけ」と言い換えたツイートと対になるツイートなのでしょう。
でも、これって、物事の本質を外した物の見方ではありませんか?
思わず、「そういうまともな人は、葬儀の場で弔問客に大声やヤジなどかけないからでは?」とコメントを付けてしまいました。
そういうまともな人は、葬儀の場で弔問客に大声やヤジなどかけないからでは? https://t.co/s3SLzAybLF
— 以下略ちゃん™ (@ikaryakuchan) 2018年10月10日
歌舞伎じゃないんだから😅😅😅
— ぶーちゃん (@biwakiku2394) 2018年10月10日
官房長官なのだから、声をかけるなら「日本二!」でしょう。
— serow:反増税・国債発行推奨 (@serow01) 2018年10月10日
葬儀を歌舞伎と勘違いしているようでは一度精密な脳検査が必要かと。。。
— carioca (@HiRaShy1212) 2018年10月10日
そう、歌舞伎じゃないんですから、葬儀を盛り上げるために弔問客に「声かけ」などしないですよ。
マスコミ等は反対派だけを「沖縄の民意」といいますが、私たちはSNS等によって、沖縄には、基地反対派もいれば基地容認派もいる、さまざまな意見があることを知っています。
ただ基地反対派の一部の人の活動が過激で、「声が大きい」だけなのだと思います。
そうした基地反対派の声だけを「沖縄の民意」だとすることに、とても違和感を感じるのです。